努力はきっと報われる、今はつらいけれども成功目指して頑張ろう!
過去の私はそう信じて真面目に、自分なりに一生懸命努力してきた。だが、思うような結果は残念ながら得られなかった。
努力している姿は周りにも認められていたが、決まってこう言われる。
「○○くん頑張ってるんだけど、報われないよねぇ」
きっと努力の量が足りないのだと思い、自分を追い込んで更に努力を続けた。それでも結果は生まれなかった。
ひょっとして成功というものは、運や才能に恵まれた人だけの特権なのか?
そう思って努力することの意味を疑った事もあった。
しかし、この言葉を知って疑いは消え失せた。
「努力した者が全て報われるとは限らん。しかし! 成功した者は皆すべからく努力しておる!!」
はじめの一歩 / 森川ジョージ
報われないかもしれないが、成功するためには努力はやはり必要だ。
ただ、報われないとやはりツライ。小さな成功でもいいので、努力の成果を実感したい。
切実な願いだった。
努力の仕方が間違っている
努力自体は素晴らしいことだが「やり方に問題がある」ということに、この本のおかげで気づく事ができた。
「レバレッジ」シリーズは大ヒットとなったのでご存知の方も多いだろうが、当時の私はビジネス書を読むことはなく存在も知らなかった。
しかし、ふと入った本屋さんで普段は絶対に立ち寄らないビジネス書コーナーへ行き、著者本田直之氏の存在を知ることになる。
この出会いが人生の転機となった。
レバレッジ・シンキングの考え方はまとめるとこうなる。
「労力」「時間」「知識」「人脈」という四分野に自己投資し、自分資産を構築して、レバレッジ(てこの原理)をかけて、少ない労力と時間で大きな成果を獲得する。
レバレッジシンキングの考えを活かせば、
労力・時間1に対して成果が1上がる
↓
労力・時間1に対して成果が無限大になる
というような変化が起きるというのだ。
そもそもビジネスパーソンは自己投資を全然していない。
本書によるとプロスポーツ選手は「トレーニング」と「試合」に費やす時間の割合は4対1であるのに対し、現代のビジネスパーソンは学習にあてる時間が1日約10分程度しかなく、学習(トレーニング)と仕事(試合)の割合は1対60である。この比較は今にして思えば妥当なものなのかという疑問が湧くが、当時の私にとっては衝撃的な言葉だった。
自己投資なんていう言葉に全く縁はなかったが、それで成果が上がるならばと早速取り組むことにした。
巻末に紹介されている書籍などを読み漁り、その知識を自己資産として構築していった。
先人の知恵というのは本当に偉大だ。
レバレッジ英語勉強法を読んで自己投資した結果、TOEICのスコアが2ヶ月で200点上がった。データによると200点上げるには450時間かけて勉強する必要があったが、実際はせいぜい50時間程度だ。
すなわち、テコの原理で9倍の成果を出したことになる。
おまけにその成果が認められて本田直之氏のオフィスに招待していただき、直接お話をすることができたし、セミナーにゲスト出演してその体験を語ることにもなった。
続ける技術を読んだ結果、テレビをだらだら見たり、ごろ寝ばかりする悪しき習慣を驚くほど簡単に断ち切ることができた。時間に余裕が生まれたので、勉強や運動をする時間を確保することにも成功した。
プレゼンテーションZenを読んだ結果、技術職の私が仕事で自社製品のプレゼンを任されるまでになった。
努力1に対して、成果が何倍も出るようになった。まさにてこの原理だ。
ただ、もちろん先人の知識にだけ頼っていては成長は止まってしまう。
100点満点中おそらく70点くらいまでは先人の知識をてこにして到達することができるが、そこからの成長は自分にかかっている。しかし、20点くらいを苦しみながらうろうろしているよりも、70点までは一気に持っていけばいいのではないか。
自分の頭で悩むのは70点になってからでも良いと思う。
自分を痛めつけるだけの努力はしない
今回の記事を書こうと思ったきっかけは、実はこの本だ。
「最も長く賞金を稼いでいるプロゲーマー」としてギネスにも認定されている、日本人初のプロゲーマー梅原大吾氏の著書である。
本書の中で彼は、4連覇がかかった試合で無茶な努力をした結果、惨敗したこっとについてこう語っている。
当時の僕は、苦しいことを我慢することのみが真の努力だと思っていた。ガムシャラに時間を割いたり、数をこなしたりするのは、自分を痛めつけているだけだと気づけなかった。自分のなかに、こうすれば成長するという論理的な裏付けや確証がないにもかかわらず、自分を痛めつけることだ一番の薬になると勘違いしていたのだ。
体がボロボロになるまで自分を追い込んだ彼は、勝てなくなっていった。
勝てない理由は努力が足りないからだと思い込み、さらに自分を追い込んでいった。
その後半年間彼はゲームから離れることになる。
例えば、いろいろな障害を越えてゴールを目指すレースがあったとする。その途中に壁がある。殴って壊れる壁もあるだろう。しかし、殴っても絶対に壊れない壁だったら、そんなものはよじ登ればいい。近くに梯子があるかもしれない。ノブをひねればドアが開くことに気づく程度の問題かもしれない。多角的に考えれば、きっと攻略法は見つかる。
過去の私はまさしく壁をただひたすら殴っていただけだった。でも今はロープ、梯子、ハンマーなど様々な道具を持っている。今持っている道具で壊せなければ、また別の物を探しにいけばいいのだ。
考えることを放棄して、ただ時間と数をこなすのは努力ではない。それはある意味、楽をしているとさえ言える。頭を使って考えることの方が苦しいから、それを放棄してガムシャラに突き進んでいるのだ。
まさに過去の自分の事を指しているようで耳が痛い。自分では頑張っているつもりだったが、甘えて楽をしていたと言われても言い返せない。
自分を痛めつけていると、努力しているような気になる。しかし、そんな努力からは痛みと傷以外の何も生まれてこない。
遅くまで残業して頑張っている気になっていた。「僕頑張ってますよ」というアピールもしたかったのだと思う。周りも「遅くまで頑張っているね」と気遣ってくれた。そんな自分に酔っていた部分もあったと思う。
でもそれは誤りだった。「頑張っているやつ」と思われたかったのかもしれないが、「頑張っているけど結果が出ないやつ」でしかなかった。
周りにどう思われたいかを意識すると、時におかしくなってしまう。
だからできるだけ周りに努力している姿を見せないようにし、評価は自分自身ですることにしている。
自分が納得できる結果が出た時は、一人でニヤニヤしながら喜びを噛み締める。結果として周りから評価していただけることもあるが、それは結果であって目標ではない。
さんざん無茶な努力は良くないと言ってきたが、もちろんガムシャラな努力を全否定するつもりはない、頑張る時期があってもいいと思う。そこから得られる教訓もきっとある。
ただ、自分を追い込みすぎて壊れてしまう前に、梅原氏の言葉を思い出して欲しいと思っている。昔は才能に溢れ成果をバンバン出していく人を羨ましく思ったが、今では何とも思わない。
才能がなかったからこそ、大切なことに気づけたからだ。
そしてこの気づきが、努力が報われずに悩んでいる人の助けに少しでもなれば、本当に嬉しく思う。